脱サラし有機農家へ転身!地域の魅力が詰まった『ナカマルシェ』を立ち上げる

レッド

written by 川西里奈

今回お話を伺ったのは、栃木県・那珂川町で有機農家『ヤヤキタ農園』を営む、車庄三さん。車さんは農家だけでなく、“手作り、地場もの、からだにやさしい”をコンセプトに『ナカマルシェ』を主催しています。移住し農業を始めたきっかけ、ナカマルシェって一体どんなものなのか、たっぷりお聞きしました!

車 庄三(くるましょうぞう)

2010年に一家で東京から那珂川町に移住し、『ヤヤキタ農園』を経営。無農薬にこだわった野菜のセットや味噌やお米の販売を行う。2014年からは『ナカマルシェ』を主催し、那珂川町をはじめとした那珂川流域で、地場産の物にこだわったマルシェを開いている。

過労で体を壊し、食べる物の重要さを知った。

__車さんは那珂川町に移住して11年目ということですが、11年前なぜ移住を決意したのでしょう?

 

車 庄三さん(以下、車):ここは母親の実家なんですよ。母親はここで生まれ育って宇都宮に行って結婚して、私が生まれました。私は宇都宮で育って大学は東京へ行って、そのまま東京でメーカーに就職して、システム系のコンサルティング会社に転職しました。

コンサルティングの仕事は給料は良いけど大変なんですね。始発で行って終電で帰れなくて、その近くのホテルに泊まるみたいな生活を送っていました。

それで、5年くらい経ってやっぱり体を壊しました。慢性胃炎で、医者から薬を処方してもらうんですが、それを飲んでも全然治んなくて。

そうしているうちにも体はどんどん蝕まれていくし、何か変えないとダメだから、食生活を変えてみたんです。

それまでは、お酒も飲むしタバコも吸うし、食品添加物も全然気にしなかったんですが、食事を無添加・無農薬のものに切り替えたら、体の調子がよくなってきて、それで食べる物の重要さを知ったんです。それが33歳の頃です。

元々、60歳を過ぎて定年したら、那珂川町で暮らそうと考えていたんです。親の家があって、畑もあることは知っていましたから。でもよく考えたら、定年まで待つ必要あるのか?って思ったんです。

その頃、新しいビジネスを何かやりたくて、土地も畑もあるなら農業を始めるのが一番リスクが少ない!って気がつきました。

 

ストレスの質が全く違う!サラリーマンから農家へ転身。

__ご家族もいっしょに移住されたんですよね。思いきりましたね!

 

車:その頃子どもは9歳と1歳でしたが、あんまり大きくなると田舎に引っ越すなんて嫌がるだろうなって思って、まだよくわからないうちに連れて来ちゃえって(笑)。

 

それから1年くらい計画を練りました。農業の研修を受けようと、就農フェアに参加したりしているうちに、那珂川町の隣の那須烏山市に『帰農志塾』という研修を受け入れているところがあると知りました。

12月の寒いときに3日間の研修を受けて、すごい厳しかったんですけど、気持ち的には楽しかったんですね。「俺、この仕事やっていけるな」って思い、農家になると決断し、1年間の研修を受けました。

 

__農業と、東京のデスクワークとの違いはどうでしたか?

 

車:ストレスの質が違います。対人のストレスがほぼないです。サラリーマン時代は、中間管理職だったので、上司にも部下に挟まれて精神的に大変でした。人間を相手にすると「もっとこうして欲しい、こうできたはず」とか、きりがないですよね。

一方で、農業のストレスって抗いようがないんですよ。つまり、晴れないなぁとか、風強いなぁとか、雨だからなとか、自然相手のことなんでどうしようもないからスパッと諦められるんです。

 

▲車さんの育てているアスパラ。採れたてはびっくりする甘さ。

震災がもらたした人々とのつながり。

__そして、無事にご自身の農業をスタートされたんですね。

 

車:そうですね。そして1年が経ち、東日本大震災が起こります。ここは原発から100km少しくらいなので、3月から6月くらいまで出荷停止になってしまいました。

「野菜を収穫しても出荷するところがない」というとき、フェイスブックが流行りだしたんです。

 

人々はみんなつながりを求めるようになって、20年前の友人とSNSを通して再びつながり始めたんですね。今何やってるの?って連絡がきて農家をやっていると言うと、宇都宮でレストランのシェフをやっている中学の同級生が、野菜を使ってくれたり。

地震も原発事故もないほうがよかったけど、それがきっかけで広がっていったつながりも今となっては大きいですね。

 

__車さんは、『ナカマルシェ』を主催されていますが、きっかけは何だったのでしょう?

 

車:那珂川町でイタリアンレストランのシェフをやっている人と、惣菜屋を始めるという女性と、無農薬野菜の取引を通じて知り合いになって「この町にイベントがない、何かできないだろうか?」って双方と話していたんです。

 

そこを結んだら何か生まれるんではと思って紹介をして、結果その3人で「マルシェでもやってみるか!」となり、始まったのが『ナカマルシェ』です。話していたのが2013年の冬で、3人とも走りながらやるタイプなので、翌年の春には準備もそこそこにレストランの駐車場で第一回目を開催しました。

 

『ナカマルシェ』ではゆったりとした時間を過ごしてほしい。

__ナカマルシェの開催にはどんな思いがあるのでしょう。

 

車:コンセプトは「手作り、地場もの、からだにやさしい」。キャッチコピーは「みんな仲間だ!ナカマルシェ」。町の人を普段行かないところに連れ回そう!という思いから、毎月最終日曜日にいろんな場所を移動して開催しています。(※12〜2月はお休み)

はじめは5店舗くらいの出店でお客さんも20〜30人でしたが、コンセプトに合う仕事をしている人が来てくれて、出店したいと言われることもあり、今では15店舗くらい出店しています。そんな感じで毎月やっていて、もう6年が経ちますね。

 

__そんなに続いているんですね。運営する上で何か大事にしていることはありますか?

 

車:あまり欲張らないでやるようにしています。一番大事なのは、お客さんがゆったりと過ごせることなので、イベントを大きくしていこうとは思っていません。

 

あるとき、畳屋さんの若旦那さんが「座るところがないから畳を敷こう!」と言って、畳の休憩スペースが生まれて、お客さんも長居してくれるようになりましたね。今では、その畳のスペースがナカマルシェの特徴になっています。

それともうひとつ特徴としては、出店料もかかりません。普通は主催者にお金を払って出店して、お客が来ないと主催者とうまくいかなくなったりしますが、人間関係にお金が絡むのはいやなので出店料はとっていません。

お客さんが来なくても個人の責任ではないから、みんなで頑張ろうっていうコンセプトです。そんな感覚が合う人たちと仲間になっていくので、一体感があるイベントですね。

就農者や仲間を増やし、町の農業を発展させたい。

__今後の展望などあればお聞かせください!

 

車:今後は、うちで農業の研修生を受け入れて、那珂川町で就農して定住してもらえるようになるといいなと思います。実際に一昨年受け入れた人も、町で無農薬農業を始めて定住しました。

あとは、“農業生産共同体”のような感じで、仕事を分担していくことができれば効率よく販売できるのではないかと思っています。例えば、作る人と売る人を分業して専念できたら生産量も増えます。今も、宇都宮の飲食店の知り合いに那珂川町の知り合いが作った野菜を売ったりもしています。

農業を始める人って一匹狼だからまとめるのはむずかしいのですが、仲間が増えてそんなふうに発展していけたらいいなと思いますね。

 

__例えばどんな人といっしょに仕事をしたいなどありますか?

 

車:知識も経験もやる気もあるという人がいいですね。農業を発展させたいという志や、アイデアを持っていたり。ついでに対抗心まであって、別のマルシェを立ち上げてやる!みたいな姿勢だったらこっちも燃えますね。

 

__車さん、ありがとうございました!

取材を終えて

「農業やナカマルシェの運営には、東京で営業の仕事などをした経験が生きていますね」と車さん。いかなる経験もむだではなくすべてが未来につながっているのだ、ということは、震災から広がった人々のつながりの話にも共通しています。
どんな状況にあっても、次々と行動して前進していく車さんに背中を押された今回の取材でした!

 

▼『ヤヤキタ農園』のネットショップはこちら
https://yayakita.ocnk.net/

▼『ナカマルシェ』についてはこちら
https://www.facebook.com/nakamarche

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